専門学校の最後の半年は、講師や卒業生の先輩方の治療院でインターンとして働くことが卒業の要件になっていました。
現場をリアルに感じられたことは、とても貴重な経験となりました。
最近ではカイロプラクティックという言葉が浸透している感はありますが、インターンをしていた15年前は知らない人のほうが圧倒的に多いという状況でした。
カイロプラクティックがあまり理解されていない日本で開業し生計を立てて行くことは本当に大変なことだとあらためて気づかされました。
実際にカイロプラクティックという看板を掲げ開業している先生でさえ『筋肉ほぐし』『ゲルマニウム温浴』『耳つぼ療法』『エステ』などをメニューに取り入れていました。
将来自分がどのようなスタイルで開業したいのかを考えさせられた良い機会となりました。
実際の開業を考える
半年のインターン期間を経て感じたことは、できるだけシンプルにカイロプラクティックだけで開業したいということでした。
卒業式を迎えても、とくに感慨深いことはなく、ここからが本当のスタートなんだと身の引き締まる思いでした。
卒業後は、仕事を続けながら、『ファイトクラブ』でカイロプラクティックを深く学び続けました。
定期的に施術を受けることも続けていたため、体調は日に日に上向いていきましした。
治らないと思っていたアトピー性皮膚炎が受け始めから半年後にはすっかり姿を消してしまったのです。毎日飲んでいた痒み止めの薬も完全に手放すことかできたのです。
身体が内側から変わっていくことを自らの身で体験できたことは本当に大きな財産で、カイロプラクティックの無限の可能性を実感することができました。
その時期、ボランティアとしてアメフトチームに帯同したり、家族や友人に施術をしながら、経験を積んでいきました。
人を練習台にするわけにもいかないので、筒状の硬い段ボールにカーペットを巻きつけ、打ち込みの練習などをしていました。
結婚そして開業までの道のり
そして、卒業から一年半で結婚。その半年後に長男が誕生しました。
深く学ぶほどにカイロプラクティック熱は高まる一方でしたが、この状況では、よっぽど頑張らないと仕事をやめることはできないなとも感じていました。子供が大ききなればなるほど、もっと辞めにくい状況になるのは明らかだったからです。
悩みに悩み、思い切って妻に相談してみました。さすがに子供が産まれてすぐのタイミング。まわりからは本当に大丈夫かと心配や反対もされましたが、
妻の「経営が難しかったら私も働くし、子供が小さいうちはお金もかからないから大丈夫。人生一回きりだから、後悔しないようにやりたいことやったほうがいいよ」
と後押ししてくれたのです。この一言がどれだけ自分を救ってくれたか・・いまでも妻には頭があがりません笑
そして、長男が産まれた3ヶ月後、ついに公務員を辞める決断をしました。
不安がまったくなかったわけではありません。しかし、何としてでも家族を養っていかなければなりませんでした。
公務員を辞めて・・・
公務員を辞めたことを知った友人が自宅に施術を受けに来てくれたり、家によんでくれたりし、応援してくれました。
会社を経営する友人達は、社員の福利厚生として契約してくれ、定期的に会社によんでくれたのです。
出張施術で不定期に施術をさせてもらう経験とは違い、継続的に経過をみられた経験は、カイロプラクティックの可能性を感じることができましたし、自信にもなりました。
それでも、公務員時代の給料には遠く及ばず、接骨院でもアルバイトをしながら生計を立てていました。
同時に自宅の一室をカイロプラクティック専用部屋にし、本格開業のシュミレーションをしていたところ、紹介などの口コミで多い時には1日5人も施術を受けに来てくれたのです。
自宅でもこれだけの人が来てくれるならば、開業しても大丈夫かもしれないと思うことができました。
運命の出会い|開業までの道のり
出張施術の帰り道、ふと不動産屋に寄ってみたところ、気になる物件がありました。その日にさっそく案内をしてもらったところ、探していた条件にぴったり当てはまったのです。
ただ一つ条件に合わなかったのが、一から内装工事をしなければならないスケルトン状態だったということです。
開業資金に余裕がなく、居抜きで使える物件を探そうと思っていたのですが、どうしてもここでやりたいと思い、計画を変えることにしました。
タイルカーペットを自分で敷いたり、壁のペンキを塗ったりと自分でできることはすべてやるとしても300万円の見積もり。
貯蓄した400万円を軌道にのるまでの運転資金にと考えていましたが、その計画も見直し。
義理の父に保証人になってもらいお金を国民金融公庫から運転資金として300万円を借り開業することにしました。
もう後戻りはできません。ようやく目標の開業にたどりつきました。