安定した生活が怖かった|私とカイロプラクティックの出会い

私とカイロプラクティックの出会い

カイロプラクティックとの出会いは、私が28歳の時で、公務員として働いていた5年目のことです。

安定していると言われている職に就き、月給やボーナスなども世間並みにもらっていました。完全週休2日制に加え、有給休暇も取りやすく、残業もほとんどないといった環境でした。

とても恵まれていた環境で働かせてもらっていたにも関わらず、当時の私は、アトピー性皮膚炎、頭痛、坐骨神経痛、過呼吸などの辛い症状に悩まされていました。病院に行って検査をしても、とくに原因は分からず、疲れやストレスが原因ではないかと言われるだけでした。

しかし、仕事終わりには毎日のように飲み歩き、二日酔いで出勤するなんてことも頻繁にありました。今思えば、あのような生活を続けていたら、体調が悪くなるのは当たり前です。

当時は、人に嫌われないように気を遣い過ぎたり、あまり目立たないようにと、常にまわりの目を気にしながら仕事をしていたので、そのストレスを解消するために毎日のように飲み歩いていたのだと思います。

何となくこのままの生活を続けていてはいけないなと思いながらも、ずるずると同じことを繰り返す日々を過ごしていました。

今思うと、そんな状況を変えなければという焦りと自分自身への失望感を抱きながらも、なにも行動を起こしていない自分に対し、大きなストレスを感じていたのだと思います。

そんな中、坐骨神経痛が座っていられないほどひどくなり、友人の紹介で接骨院に通うことにしました。

接骨院との出会い、そしてカイロプラクティックに出会うまで

施術は腰や足が痛くて痺れているのに、検査をして、首や手などにも施術をしてもらいました。なぜ腰痛なのに首や手を施術するのかと思っていましたが、あれほど痛かった腰の痛みが通う毎に不思議と楽になっていったのです。

その院はいつ行ってもたくさんの患者さんであふれかえっていました。

仕事イコール我慢してやるものだと思っていましたが、その先生は忙しいのにいつもニコニコ楽しそうに施術をしていたのです。私も腰がよくなり、とても感謝しました。

その先生の域まで到達するのは大変そうだけど、手に職をつけられる、人にも感謝されるやりがいのある仕事だなと思ったのです。

接骨院通いも終わりをむかえようとしていたある日、通勤途中の電車の窓からカイロプラクティック専門学校の『体験入学』の垂れ幕が目に飛び込んできました。それまで毎日通っていても、まったく気づいていなかったのに、その日ばかりは直感的に何か感じるものがあったのだと思います。

カイロプラクティックについて調べてみると、「アメリカ発祥の手技で、手だけを使って身体に備わっている治癒力を引き出す施術」と書いてありました。

タイガーウッズなど、アメリカのプロスポーツ選手の多くがカイロプラクティックを身体のケアに取り入れているとのことでした。

もしかするとカイロプラクティックを学べば、その接骨院の先生のように、人に感謝される仕事ができるかもしれないと思ったのです。

 

その後、直感を信じて入学を決意。公務員と専門学校生という二重生活が始まりました。

次回へ続く

■これからみなさんとしていきたいことを記載いたしました。ぜひ読んでいただけたらと思います。

カイロプラクターとしてこれからしたいこと

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